ゴー宣DOJO

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切通理作
2012.3.13 11:13

「身の丈」と「想像力」のバランス

   いよいよ明後日、3月15日配本のゴー宣道場選書第一弾『原発はヤバイ、核兵器は安全』

   構成を手伝わせて頂くにあたって、従来の対談本、座談会本と変えたかったところがあります。

   「注釈」をやめたかった!

   なぜなら僕自身、対談本の欄外とかに細かい注釈があると、根がオタクなのでつい全部真面目に読んでしまい、それが本の主旨とも発言の方向性ともさしてリンクしてなかったりすると、ちょっとした徒労感があるからです。

   1行か2行で終わる程度の説明ならカッコして文中に入れてしまった方がいいし、本格的な説明が必要なら、それはコラムとして独立させて挿入した方が楽しいのでは?

   
   たとえば陸上自衛隊の「高等工科学校」について、僕なんかが「陸軍幼年学校の精神が生きている」などとわかったような説明文を記すより、<軍事ジャーナリスト界のみのもんた>と異名をとり、工科学校に何度も足を運び卒業式では号泣されたという井上和彦先生に熱く綴って頂いた方が、何倍も素敵になると思うのです。

 
  そして他ならぬ小林よしのり創設師範にも、そもそも「道場って何?」「なんで始めたの?」といったことから「どうやったら核兵器が持てる?」っていう展望まで、コラムを書いて頂きました。

  コラムで私がぜひ小林さんにお願いしようと思ったテーマの一つに「自分が政治家になったら、どれくらいやれるのか」ということがありました。

  
  一般の読者の多くがそうですし、もちろん私などもそうですが、自分が政治家になるわけではありません。

  しかしかといって、ことあるごとに「政治家は何やってんだバカヤロー」などと憂さを晴らしてばかりいるのは、健全でしょうか。

  政治家への野心という意味ではなく、またバッシング対象としてでもない、想像力として、「自分が政治家になったら、どこまで出来るのか」ということを考えておくことは、無意味でしょうか?

  たしかに、自分の「現場」を持つことは重要ですし、身の丈を越えて世の中をどうこう出来ると思ってしまうような妄想家にはなりたくないという気持ちは僕にもあります。

  そのことと、責任を持つ立場の人間に対しての「想像力」を持たなくてもいい、というのは、違うような気がします。

  そして私たちは、そのバランスを取ることが非常に苦手なのではないかと思います。

  皇統問題でも僕の友人である若い編集者は、天皇陛下に敬意を持っているのですが「そんなことを自分が云々するなんて畏れ多い」とか「陛下のご意思を自分なんぞが忖度するなどあり得ない」などと思って、判断停止になっているきらいがあります。

  たしかに、天皇陛下は政治家より以上に、自分がなり代わって考えるなど畏れ多い存在でしょう。

  陛下の胸の内を推察するということは、それ自体不敬でしょうか。
  
 

  その辺に関しても、次回のゴー宣道場では話してみたいなと思います。

  

  4月8日(日)の「第24回 ゴー宣道場」 のテーマは、
    「女性宮家創設の今一つの危うさ」

  
 

   入場料1000円。

 参加希望の方は 往復はがき に、 『第24回参加希望』 と明記、
 
1. 氏名(同伴者がいる場合はその方の氏名と続柄・関係など)

2. 住所

3. 電話番号
4. 年齢
5.
職業(学生の方は学校名)
6.
募集を知った媒体
7.
応募の理由と道場への期待
返信はがきの宛名には、ご自分の氏名・住所をご記入の上、

152-8799

東京都目黒区目黒本町1-15-16 目黒郵便局・局留め

『ゴー宣道場』代表・小林よしのり、担当・岸端

まで、お送り下さい。

締め切りは、平成24年3/28(水)必着

当選された方にのみ、返信はがきを送付致します。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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